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Takayanagi Lab.

Research

プロトンの量子的反応機構の解明

● プロトンはとても身近な粒子

世の中には、プロトンがあらゆるところに存在します。

例えば、我々生物はアミノ酸やたんぱく質などの有機化合物でできており、この化合物には多くのプロトンが含まれています。また、人間の体は約70%水できているといわれるぐらい、体内には大量の水分があります。その水を化学式で書くと H2O 、つまり二つのプロトンがあることが分かります。 自然界にこれほど多くのHがあるにも関わらず、実際どのように動いて反応するのか、は良く分かっていません。何故でしょうか?

それには量子力学が非常に深く関わってきます。私たちが目で物を見ると、止まっている物は止まって見えるし、動いている物は動いて見えます。ですが、原子・分子ぐらいの大きさでは話が変わってきます。

● 量子力学の不思議

原子・分子はÅ(オングストローム)程度の大変小さなスケールで動いています ( 1Å = 1.0×10 −10 メートル = 0.0000000001 メートル )。  そこで、このスケールで原子・分子がどのように動き回るのかを知るために、ポルフィセンと呼ばれる分子を例にあげてみます。

ポルフィセンは、光合成に関係あるクロロフィルや血液中のヘモグロビンの中にあるポルフィリンの構造異性体( 化学式では同じなのに構造だけが違う分子 )です。

この分子を止まっていると仮定したとき、その構造は 図1左 のように見えます。しかし実際は,温度が 0 K ( 0 K = −273.15 ℃、最低温度 ) でも右のようにボワっとしていて原子・分子は止まっていません。これこそが量子力学の不思議の一つでもあります。

さらに、内側にあるプロトンは、図1左 では反対側に近くの N ( 窒素 )の近くに留まっています。 しかし、図1右 をみるとプロトンは上下に大きく広がっていることが分かると思います( 黒い線で囲っている部分 )。

これも先ほどの 『 実際の分子は止まっていない 』 効果は含まれていますが。実はそれだけではありません。それが俗にいう『トンネル現象(効果)』です。 プロトンはとても軽い粒子であるため、トンネル現象を色々な場面で起こします。これを簡単に表したのが 図2 です。

どんな原子・分子の反応でも、必ずその反応障壁( 図2 における山の高さのこと )を超えなければいけません。 物がある特定の形を持っているのはこのおかげで、もしこの山がないと分子は色々な場所に簡単に移動できるようになって、結果的にバラバラになってしまいます。 言い換えると、原子・分子はこの山を越えるエネルギーをもつことで反対側に行ける、つまり反応できるようになります。

しかし、プロトンは恐ろしい粒子です。       

たとえこの山を越えるエネルギーをもっていなくても、この山をいわば何もなかったように通り抜けるときがあります( 図2 の赤波線矢印で表しています )。それがトンネル現象です( この現象も量子力学でなければ説明がつきません )。その影響で、ポルフィセンの内側にある2個のプロトンは 図1右 のように大きく広がったものとなるのです。 ですが、このままではプロトンがどのように動いているのかが分かりません。

● ポルフィセン分子におけるプロトン移動反応

そこでプロトンの動きが分かるように別の図を作ります。図3 のようにポルフィセンの構造の中に関数軸をおいてやります。具体的には内側にあるNH間の距離を関数にしています( r1 から r4 )。内側のプロトンは大雑把にいうと上下方向にしか動きません。 そのため、 r1r2r3r4 )をとってあげて、例えば正の値( r1r2 > 0 )ならプロトンは上側のNに近いことを表しているし、負の値( r1r2 < 0 )なら下側のNに近いことになります( これはちょっと難しいのでじっくり考えてください )。 r3r4 も同じです。 以上より、この二つの関数( r1r2r3r4 )を縦軸と横軸にした図を作ればプロトンの動きが分かることになります( 図3 (a) 〜 (c) )。

図3 (a)、(b) は量子力学的に扱ったもので (c) は一切量子力学的な効果が入っていないものです。 また、図中の線は密度等高線です(分からない人は、同じような図が書いてある天気図や地図を見てみてください)。つまり、濃い場所にプロトンは存在しやすいことを表しています。

具体的に、300 K ( 300 K は約27 ℃ で室温ぐらいを仮定 )の結果である (a) を見ていきます。 これは見た目が斜めになった図になっています。先ほどの関数の定義にあてはめて考えると、 r1r2 が大きくなると同時に r3r4 も大きくなっていることが分かります。これは片方のプロトンが動くと同時にもう片方のプロトンも動いていることを表しています。

次に (b) の500 K を見てみると、明らかに分布が大きく広がっていることが見えます。もう少しちゃんと言えば、縦軸または横軸に平行に分布が大きくなっています。つまり温度が上がると、片側のプロトンが動いてからもう片方のプロトンが動く反応が起こり易くなっていることを示しています。 では、全く量子力学的に扱わないとどうなるのでしょうか?

それが500 K での (c) です。量子力学的に扱ったときとまったく違う図になっているのは誰の目にも明らかでしょう。つまり、ちょっとカッコよく言えば、『プロトンの反応機構の理解には、核(この場合はプロトン)を量子力学的に扱うことが必須である』ことが目に見えて分かる結果です。最初にも述べたように、自然界にはプロトンの関わる反応は無数に存在します。

論文:"Theoretical study on the mechanism of double proton transfer in porphycene by path-integral molecular dynamics simulations," T. Yoshikawa, S. Sugawara, T. Takayanagi, M. Shiga and M. Tachikawa, Chem. Phys. Lett., 496, 14-19 (2010).

● 感想

これはあくまで原子・分子のスケールですが、私たちが意識していないだけで身の回りの現象には量子力学が関係しているのかもしれません。         それが分かれば、原子・分子の反応でももっと量子力学の重要性が分かるようになると思います。